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信州上田の旅と歴史
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上田藩主居館跡
うえだはんしゅやしきあと
(上田高校正門)
長野県上田市大手1−4−32
 歴代上田藩主が居館を構えた場所です。門は藩主屋敷にふさわしい豪壮な造りの薬医門です。
 関ヶ原の戦いの後、上田城は破却されました。昌幸・幸村(信繁)の活躍で中山道で関ヶ原を目指した徳川秀忠軍は戦いに遅参させられてしまいました。秀忠の怒りは大きく破却されたようです。

 ただし同じ真田の一員でもあった真田信之(信幸)への信頼は厚く上田と沼田の地を安堵したのでした。
 城のない上田を治めるために建てたのがこの居館でした。現在ある遺構の表門は寛政元年(1789)藩主屋形が全焼し、その翌年に再建されたものだそうです。

 元和8年(1622)真田信之は松代に転封となり、故郷上田を後にしました。信之は松代藩を築き93才まで生きたそうです。しかも90才まで藩政に携ったそうです。
今はこの門は上田高校の正門になっています。春は桜が咲き誇り、晩秋には紅葉した葉が堀をうずめます。
 上田には小諸より仙石氏が入封し、その後、松平氏が入りました。屋敷門と真田時代の堀だけが昔の姿をとどめているのです。




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