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信州上田の旅と歴史
上田・真田の旅        上田市真田

実相院
じっそういん
長野県上田市真田町傍陽(そえひ)萩
 金縄山「実相院」は天台宗のお寺です。神亀2年(725)に行基(ぎょうき)により開創されたそうです。 最初は霊応山慈済寺「実相院」という名だったそうです。
実相院
 山号が金縄山(きんじょうざん)に変えたのには理由がありました。参道前に建つ二つの石柱の左側に「田村将軍祈願所」と刻まれています。田村将軍とは坂上田村麻呂のことです。
実相院本堂
 将軍が、東征の途中、角間渓谷に住む毘邪(ひや)という鬼を霊験あらたかな馬頭観世音に祈願して捕まえました。この時、鉄の鎖で縛り上げたことから、この山号になったと記されています。
 本堂の前にある石造宝篋印塔は貞治6年(1367)足利将軍の執権であった堀田式部少輔が観音堂の再建と共に建立したといわれています。
 南北朝時代の典型的な関東洋式で塔身東面に「貞治六年三月 日」「一結  敬白」の陰刻銘が見て取れます。県内でもこの種の遺例は少なく貴重な石塔とされています。
宝篋印塔
 応永3年(1396)雷が落ちたために炎上、天文年間には兵火によりことごとく消失したそうです。
 その後、寛保2年(1743)上田城主の松平伊賀守が本堂を再建したそうです。天明3年(1783)現在の観音様が移築再建され、寛政12年(1800)に入仏供養が行なわれ完成したそうです。
 本尊は木造馬頭観音坐像だそうです。室町時代前半のころの作で、頭上に馬の頭を乗せためずらしい形の坐像だそうです。境内には毘邪の関係か鬼石、鬼松などと名付けられた遺跡も残されています。
 また実相院は山家神社の末寺であった白山寺の本尊であった木彫りの十一面観音像を所蔵しています。神仏習合で明治の廃仏令で廃寺になったためです。
 同じ天台宗だったのでお願いしたのかもしれません。四阿山の白山信仰で由緒と格式のある山家神社の末寺だったそうです。白山信仰は真田十勇士とも関連があったようです。



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