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信州上田の旅と歴史
上田・塩田の旅        上田市(塩田)

安楽寺
あんらくじ
長野県上田市別所温泉2361
 崇福山護国院安楽寺は禅宗としては、鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つです。天正16年(1588)ころ、高山順京が曹洞宗に改めたそうです。鎌倉時代、この別所温泉のある塩田平は、当時の政治の中心地鎌倉と深い関係がありました。
 鎌倉幕府の連署(副執権)をやっていた北条義政は、塩田の地、前山に館を構え、三代にわたって鎌倉幕府の重臣として活躍しました。そんなことから鎌倉からの文化がたくさん移入され、その影響をうけた文化財が多く残っているのです。
 塔というものは、仏舎利(御釈迦様の遺骨)をお祀りしたもので、昔は寺の中心にあったものだそうです。
八角塔へ行く途中には、「伝芳堂」があります。ここには、国の重要文化財に指定されている木造の「樵谷惟仙(しょうこくいせん)和尚像」と、「幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)和尚像」が安置されています。 両像ともに鎌倉時代の嘉暦4年(1329)の造顕です。 

 開山である樵谷惟仙は修行のため宋の国に渡り鎌倉北条氏の外護により臨済宗安楽寺を開きました。鎌倉の建長寺の開山祖の在宋中蘭渓道隆禅師と親しく交わり、来朝の際、先導もつとめたそうです。
 二世の幼牛恵仁は樵谷惟仙に従って中国より来朝し安楽寺二世を継いだ中国僧でした。

杉木立ちの中の石段の上には、木々の間に、国宝の八角三重塔が端然と建っています。。四重の塔に見えますが一番下の屋根は裳階(もこし)といって塔の軒下に一段低く取り付けた造りで三重の塔なのです。裳階は廂の役割を果たすものだそうです。禅宗様と呼ばれる建築様式で、建立年代も鎌倉末期と推定されています。
 頂上には相輪(九つの輪のついた柱)が天高くそびえています。各層の屋根の下には、華やかな「木組〔きぐ〕み」があります。それらが、この塔の美しさのようです。どっしりとしていて気品のある華麗な塔なのです。
 安楽寺は、曹洞宗通玄派の寺で草創は幾つか伝えられています。天長年間(824〜834)に戸隠山の鬼女紅葉を退治した平惟茂の創建という説と慈覚大師の開山という説です。そしてその後樵谷禅師が再興しました。
 安楽寺は、鎌倉中期相当な規模をもった禅寺であり、信州の学海(学問の集まる場所)の中心道場であったようです。
 塩田北条氏の庇護により栄えました。臨済宗と変り、鎌倉の建長寺・円覚寺、五山と肩をならべるほどの格式をももっていたようです。
  島木赤彦碑
山かげに  松の花粉ぞ  こぼれける
  ここに古りにし  み佛の像
 大正12年の春、別所温泉でこの詩を詠みました。み佛の像とは重要文化財の「樵谷惟仙(しょうこくいせん)和尚像」と、「幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)和尚像」のことです。
 また八角三重塔を歌った窪田空穂(うつぼ)の句碑などもあります。

 安楽寺・常楽寺・長楽寺が「別所三楽寺」と呼ばれ有名でした。長楽寺は今はありません。





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