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信州上田の旅と歴史
上田・塩田の旅       上田市(塩田)

龍光院
りゅうこういん
長野県上田市東前山
 龍光院は弘安五年(1282)塩田城主北条陸奥守入道道祐(北条国時)によって父義政公の菩提を弔うために建立されました。月湲(げっけい)和尚が開祖です。
 宝珠山龍光院の本堂から300mほど離れたところにある黒門の脇に、大ケヤキが立っています。樹高は26mほどで目通り幹囲は6.27mと書いてありました。樹齢300年以上ともいわれています。隣には大スギもそびえています。幹囲は2.66mです。黒門は享保17年(1732)の火災からものがれています。本堂へ続く参道は趣があります。
 塩田北条氏ゆかりの寺(菩提寺)だけあって、本堂の棟には北条氏の紋所「三ツ鱗」も刻みこまれて、その由緒を物語っています。
 塩田の北条氏は三代五十余年、この塩田地方で栄えましたが元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉を攻めたため塩田一族は応戦に馳せ参じました。
 しかし利あらず再びこの地に戻ることはできませんでした。

 この寺には狩野永琳の描いた、ひとそろいの屠風があります。
 四季の花や鳥、中国の有名な七賢人を描いた見ごとなもので、永琳の代表作といわれています。四季の花鳥と七賢人が六曲一双の十二枚に描かれた大作です。
 永琳は明和4年(1767)前山の保科弥惣右ヱ門の二男として生まれました。江戸に上り狩野高信の門に入りました。師の信頼が厚く、師に代わって京都御所に龍を描き、その完成間近にして同門のねたむところとなり、41歳で非業の最期をとげたといわれています。
 また住職婦人の手作りの山菜膳も有名です。春はフキノトウや葉ワサビなどはしりの山菜に始まり、4月下旬からは旬の山菜料理になるということです。ごま豆腐はじめ手作り料理がおいしいと評判です。
 黒門に続く長い参道の傍らの小高い場所に「お開基様」と地元の人たちに親しまれている、無銘の石塔があります。これが塩田北条氏の祖、北条義政公の墓とされています。
       無銘の石塔
 北条氏滅亡のあと、後難をおそれてか碑文は削りとられたといわれ、全く無銘の石塔になっています。



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