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信州上田の旅と歴史
旧上田市内散策      上田市

大輪寺
だいりんじ
長野県上田市中央北1−5−7
 曹洞宗の天照山大輪寺は昔は真田方面にある戸石城のふもとの畑山にあったそうです。入口の冠木門の前には三界万霊塔と書かれた大きな石が入山する人を見ています。
三界万霊塔

 老杉の先には200年前に造営されたという中門があります。「天照山」という山号額は松代藩八代の真田幸貫藩主が書いたものだそうです。
大輪寺中門

 真田昌幸が上田築城の時、夫人の寒松院(法号)の発願により、上田城の鬼門にあたる現在地に再建されたそうです。
大輪寺山門

 立派な山門は上田では最大で楼門形式になっています。左右に回廊がめぐらされ、下は堀となっていて、いざという時には城郭の役割も担えた造りです。

 この楼門上には十六羅漢が安置されているそうです。松代に移封された真田家が善光寺修理の際に一緒に材料調達し、建てたものといわれています。

 本堂は宝永2年(1705)に再建された大きな堂宇です。大棟には真田家の六文銭が飾られています。
大輪寺本堂

 真田家が松代に移封されたあとは一時衰退したようですが小諸から上田藩主になった仙石家の法光院殿の位牌所となり再興したそうです。
庫裏と本堂

寒松院の墓
 寒松院の墓です。真田昌幸の夫人で、長男信之(のぶゆき)、次男の幸村こと信繁(のぶしけ)の生母になります。武田信玄の養女として嫁いだそうです。
寒松院の墓

 生前は山之手殿、または京の御前と呼ばれていたそうです。甲斐の新府城や大阪城に人質として送られたそうです。



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